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テクノロジーと人類の未来 ~託された判断~

NECソリューションイノベータ株式会社の寺澤和幸氏を迎え、テクノロジーの変遷やスマートシティ構想について、また一般社団法人エコシステム社会機構について語り合いました。

(対談日:2024年6月20日)

連続対談企画「道心の中に衣食あり」では、アミタ熊野が対話を通じて持続可能な社会の未来図や、その設計に必要な思考や哲学をお伝えしています。

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人生初のパソコンに「人間の知能を超える可能性」を予感

寺澤氏

今日はお招きいただきありがとうございます。錚々たる先生方と対談されていたので、企業人の僕が出ていいのか(笑)。

熊野

ぜひ寺澤さんとがっつりお話したいという僕のリクエストです(笑)。

寺澤氏

じゃあよろしくお願いします。

熊野

今日は、社会の複雑性や不確実性が拡大し、さらにはスーパーコンピュータなどのテクノロジーがどんどん進化していく時代において、後追いとなる産業をどのように発展させていくかというお話をお聞きしたいと思っています。MIT(米国マサチューセッツ工科大学)メディアラボのネリ・オックスマン教授は、複雑になった社会を調和するために、自然の摂理を学ぼうという考えを提唱しています。彼女は論文の中で、クレブスサイクルというアミノ酸の代謝を産業界に当てはめて「アート、サイエンス、エンジニアリング、デザイン。この4象限をもつれるように思考することがイノベーションになる」と説いているんです。これが僕はとてもしっくりきて、共感しているんですね。「イノベーションのためには、分けるべきではなく、もつれないといけない」と。

早速ですが、寺澤さんは、いつ頃からこの混沌の世界に興味を持ち出したのですか?

寺澤氏

混沌の世界というか、僕が一番衝撃を受けたのは、小学生の頃、父がパソコンを買ってきたときです。弊社の話で恐縮ですが、当時はNECがハードウェアをつくっていて、NECのパソコンが国内トップシェアで、全盛期でした。1980年代から2000年頃までですかね。
それを父が買って使っているのを見て、「これは人間に取って代わるほどの可能性があるんじゃないか」と衝撃を受けました。それから、いろいろなプログラミングやパソコンの解析に没頭していきました。

その頃に、小さいポケットコンピュータみたいなものが各メーカーから出ていて、そのポケットコンピュータを自分で買って、プログラミングして、学校に持って行ってみんなで遊んでいました。1980年の初頭ぐらい、僕が小中学生の頃ですかね。


熊野

ありましたっけ?

熊野

そうですね。ちなみに僕は1956年生まれなんですが、先生はおいくつですか?

寺澤氏

はい、カシオさんやシャープさんが出していました。見た目は関数電卓なんですが、プログラミングも組めるんです。当時出ていた雑誌を読み漁っていました。そのとき、「こういうパーソナルコンピュータがいつか人間の知能を超えるんじゃないか」とすごくワクワクして、そこからこの業界に興味を持ち始めました…


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