コラム
食品業界がTNFDに"本質的に"取り組むには
-制度対応を超えて、自然資本を経営戦略に統合するために-コンサルタント執筆コラム
TNFD対応が単なる情報開示の取り組みにとどまっていては、企業価値の向上にはつながりません。特に食品業界は、バリューチェーンのあらゆる段階で自然資本に強く依存し、その変化によって直接的に影響を受ける業種です。
自然資本の変動は、調達リスクや価格高騰、ブランド価値の毀損といったかたちで、経営の根幹を揺るがしかねないリスクとなります。
だからこそ今、自然資本との関係を自社の持続的成長や競争力の観点から捉え直すことが求められています。食品業界の構造的な特性を通じて自然資本との関係性を考察することは、他の業種にとっても有用な示唆をもたらします。本記事では、食品業界に固有の課題を整理しつつ、制度対応の枠を超えた本質的な取り組みの方向性を提示します。
自然への依存や影響を「自社の現実」に翻訳する
自然への依存や影響を定量化し評価することは、多くの企業にとって大きな課題です。しかし、これは投資家・金融機関・評価機関といった情報開示の要請側の視点であり、企業の現場や経営層が日々直面している「本当の課題」とは乖離がある場合があります。
食品企業にとって自然資本との関係に起因する本質的な課題とは、例えば次のようなことです。
- 気候変動や生態系の変化により調達の安定性が脅かされる
- 原材料価格が上昇し、コスト圧力が高まる
- 環境・社会的取り組みに対する評価が低下し、顧客や取引先から選ばれなくなる
▼食品業界を取り巻くリスク・状況
出典:農林水産省
これらは、自然資本への依存や影響が企業経営に直接跳ね返ってくる形で現れる「現実」です。したがって、情報開示の枠にとどまらず「自社の安定収益をどう守るか」「競合と差別化するにはどうすべきか」という文脈において、自然資本の変化を読み解くことが重要です。
食品業界特有の自然資本との関係
食品業界は、原材料として農水産物を使用するため、自然資本と極めて密接に関わっています。土地、水、気候、生態系など、多様な自然資本が調達・生産・品質管理の各段階に影響を与えます。
また、次のような特性から、食品企業にとって、自然資本の変動は単なる供給リスクにとどまらず、ブランド・価格・顧客ロイヤルティといった中長期的な企業価値に直結します。
- 天候や季節性に依存するため、自然変動の影響を受けやすい
- ブランド価値が「品質」や「産地」「安全・安心」と強く結びついている
- 近年、消費者のサステナビリティ志向が強まり、環境配慮型商品への需要が増している
TNFDを"企業価値向上の起点"に変えるには
自然資本に対する本質的な取り組みとは、自然資本の変化を前提としたうえで事業の在り方そのものを再設計していくことです。TNFDは情報開示の枠組みですが、それを情報開示対応にとどめず、「自然資本を経営にどう統合するか」という観点で活用することが、本質的な取り組みの出発点になり得ます。
そのためには、自然資本を原材料の供給源・制約条件・リスク要因ではなく、自社の価値創出を行うことのできるフィールドとして捉え直し、事業活動を通じてその保全や回復・再興に積極的に寄与することで、自社の事業の成長機会につなげようとする発想が必要です。
企業は「環境保全が大事だから」ではなかなか動くことはできません。行動につながるのは「本業の維持・成長に支障が出る」もしくは「儲かる・評価される・選ばれる」といった合理的な動機があるとき、すなわち、環境と経営の接続点を見出すことができたときです。そうした取り組みの方向性として、以下のようなアプローチが挙げられます。
1. リスクの安定化 - 調達先の気候・水ストレスを前提に、原材料選定や契約形態を見直す - 生産拠点の立地や操業方針を、気候変動や水資源への影響と連動して最適化する 2. 自然資本を付加価値に変える - ブランド戦略において、自然資本保全への取り組みを差別化要素として組み込む - ESG評価やサステナビリティ認証を通じて、新たな市場・取引機会の創出を狙う |
参考事例:ネスレ・テスコ
自然資本を経営戦略に統合する実践例として、ネスレ(スイス)とテスコ(イギリス)の取り組みが参考になります。両社は自然資本を「守るべきもの」として扱うだけでなく、企業価値創出の源泉として再定義し、科学的根拠と具体的なKPIをもとに戦略的に統合していると言えます。
ネスレ:再生型農業と自然資本価値の統合
ネスレは、自社の持続可能性戦略の中核に「自然資本の回復」を位置づけています。特に再生型農業(Regenerative Agriculture)に注力し、農業慣行の転換を通じて土壌の炭素貯留能力、生物多様性、水資源循環の改善に取り組んでいます。
- 2023年時点で、主要農産物の15.2%を再生型農業由来に転換(前年6.8%から倍増)。2030年までにこの割合を50%にまで拡大する目標を掲げている。
- 水資源では、2023年に工場での水使用量768万m³を削減し、目標を上回る成果を達成。さらに水環境再生プロジェクトを通じて440万m³の「水回復ベネフィット」を創出した。
- 生物多様性では、カカオやコーヒーのサプライチェーンにおいて森林減少ゼロ率93.4%を達成し、植樹も累計5,170万本にのぼる。
- これらの取り組みは、GRIやSASBなど複数の開示フレームワークに準拠して詳細に報告されており、第三者保証も導入済み。財務・非財務の統合的リスクマネジメントの中に自然資本評価が組み込まれている。
▼再生型農業 イメージ画像
出典:ネスレ
テスコ:サプライチェーン全体での評価と地域生態系再生の両輪
テスコは、食品小売業としての影響力を活かし、サプライチェーンの自然資本リスク評価と地域生態系再生の両立を図っています。
- WWFのBiodiversity Risk FilterやWater Risk Filterを用いて、パーム油などの調達先の生物多様性スコアを科学的に評価。IBATやMSAといった指標も導入し、優先地域を明確化。
- 2023年には「Nature Programme」を開始。店舗・物流・農場レベルにおけるネイチャーポジティブ戦略を5つの柱に整理し、全社的に展開。英国農家の100%がLEAF Marque認証を取得済みであり、これをグローバル調達先にも拡大予定。
- 鳥類保全のためAI音響技術(Chirrup.ai)をトライアル導入し、自然との共生型農業の推進に活用。
- 森林・牧草地・流域保全のため、Forestry England等と連携。
おわりに
自然資本に対する本質的な取り組みとは、単なる情報開示やCSR活動ではありません。それは、自然資本の変化を前提とした上で、企業の事業構造や戦略を再構築し、持続的な価値創出の土台を築く営みです。自然資本の変動を前提に経営を再設計し、企業の持続的価値創出へとつなげていくことが問われていると言えます。
そのためには、受動的なリスク対応にとどまらず、企業自身が自然資本の保全・再生に貢献しうる存在であるという自覚と意志を持つことが不可欠です。
食品業界のみならずあらゆる業界において、TNFDへの対応をきっかけに、このような転換が広がることが期待されます。
関連情報
執筆、編集
中村 圭一(なかむら けいいち)
アミタ株式会社 サーキュラーデザイングループ
静岡大学教育学部を卒業後、アミタに合流しセミナーや情報サービスの企画運営、研修ツールの商品開発、広報・マーケティング、再資源化製品の分析や製造、営業とアミタのサービスの上流から下流までを幅広く手掛ける。現在は分析力と企画力を生かし、企業の長期ビジョン作成や移行戦略立案などに取り組んでいる。
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