
関西弁を操り、軽快なトークを繰り広げるマリ共和国出身の空間人類学者、ウスビ・サコ氏。空間とコミュニティの関係性について研究するサコ氏と、当社代表取締役会長の熊野英介が、マリの文化を参照しながら次世代のアソシエーションのあり方について議論を交わしました。
(対談日:2025年6月2日)
連続対談企画「道心の中に衣食あり」では、アミタ熊野が対話を通じて持続可能な社会の未来図や、その設計に必要な思考や哲学をお伝えしています。
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| ・近代建築が生んだ分断。空間は本来、コミュニケーションのツールである ・信頼関係にプロセスは不要。アフリカ社会に学ぶ、迷惑をかけていい文化 ・個人主義から、曖昧さがキーワードの「シェア」の文化へ ・互助共助型のコミュニティを生む「MEGURU STATIONR」の挑戦 ・合理性が生んだアソシエーションの限界。無条件の共同体はどう創る? ・コミュニケーションに必要なのは、自分自身のストーリーを語る力 ・貨幣に縛られない、関係性が社会を動かす時代へ |
近代建築が生んだ分断。空間は本来、コミュニケーションのツールである
熊野
パレスチナ問題、ロシアによるウクライナ侵攻、トランプ2.0の排他的な外交政策など、いま世界では対立・分断が急速に広がっています。物質的に豊かになったはずの現代で、なぜこのような現象が起きるのか。サコ先生が研究する「空間人類学」の中に、そのヒントがあるんじゃないかと思って対談をお願いしました。自分の中で咀嚼しきれずにいた部分を、今日はとことんお聞きしたいです。
サコ先生はもともと建築学の専攻だったと伺いましたが、なぜ空間とコミュニティの関係性を研究されるにいたったのですか?
サコ氏
きっかけは、近代建築が機能性や合理性と引き換えに失ったものに気づいたことでした。建築に便利さを追求すれば、どこかで人間が機能に合わせる、つまり建築が人間性をコントロールする現象が生まれます。そこには当然、人間の本質的なものはありません。
それを強く感じたのが、高校卒業後に中国と日本での留学経験を経て、母国のマリ共和国で近代の建築学について発表した時のことです。当時(1980年後半~90年代にかけて)は日本で環境問題が注目を集め、建築学でも「環境共生」というキーワードが流行っていた時代です。先進国・日本で環境配慮型の最新建築を学び、自信がたっぷりついていた私は、この技術をマリに持ち込み普及させたいと思っていました。
でも、講演会でマリの人たちから返ってきたのは「何言うとんねん?お前、マリのこと知ってんのか?」という反応でした。「電気の効率とか風通しとか、いろいろ言ってるけど、まずマリには電気も通っていないし、窓も開けっぱなしだよ」と。
マリでは、中庭を数軒の家が取り囲み、数十人が共同で生活する集合住宅が主流であり、そもそも近代の合理的な建築ではマリのような共同生活はまず不可能です。その時はじめて、合理性や機能性は彼らが求めているものではない、もっと人間的な視点から建築を見るべきではないか?という想いが生まれました。

近代以降の建築は、食べるためのダイニングルーム、寝るためのベッドルーム、団らんするためのリビングルーム……という風に、機能に従って形が作られることがほとんどです。それに対して、マリでは1日中、空間が作られ続けています。同じ場所でも調理道具を出せばキッチンに、椅子を並べればダイニングになる、という具合です。
これは日本の伝統的な建築でも同じですよね。畳の部屋はちゃぶ台を置けば食卓に、布団を敷けば寝室になる。結局、伝統的に我々人間は、ものを運んで配置することによって空間の機能を決めているんです。
マリで共同生活が成り立つ理由は、この部分にあります。「あの人が使い終わったら、ちょっと早めに場所を使おうかな」という風に、スペースがオーバーラップしたり、分かれたり、空間は1日中「ネゴシエーション」の場になっている。彼らにとって空間とは、一種のコミュニケーションの媒体です。
ネゴシエーションは、お互いの尊重なしには成り立ちません。私は、共存の本質はこのネゴシエーションにあると考えています。「私たちの共有財産であるこの空間を、どう使うのか?」に対して、誰かが指示をするのではなく、当事者全員が空間作りに参画するコモンズの精神が、共同体には非常に大切です。近代建築はこの多機能的な空間利用のあり方を見落としてしまったんじゃないでしょうか。
熊野
なるほど。合理性を追求するあまり、本来人間が持っている柔軟性や、共有財産の効果的な活用方法を話し合って最適解を皆で作るという関係性が失われていったのですね。
サコ氏
そうなんです。現代の空間は、プライバシーを高めることで人間が孤独になっている気がします。適度に生活音が聞こえる環境では、「お、帰ってきたね」「今ご飯済ませたんか」「あ、シャワー浴びてんのか」など、直接会って話さなくても一緒に生活している感覚は得られます。でも、快適性の名のもとに遮音性を高めると、隣の人の声が全然聞こえず、自分の部屋に一人きりで孤独を感じることにもなる……。近代建築は、人々を分断しているんです。これを広い範囲におきかえると、合理的な空間の分け方が社会を分断しているともいえます。お互いに何をしているかわからないから、不信感が生まれやすいのです。
この視点を得るには、建築学だけでなく文化人類学の観点が必要です。これが、私が空間を人類学的な視点から研究する「空間人類学」を学び始めたきっかけでした。
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