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コラム

南三陸町バイオマス産業都市構想の策定過程とその効果環境と経済は両立する 南三陸バイオマス産業都市構想

minamisanriku.jpg南三陸町は人口約1万3千人、海里山が一体となった豊かな自然環境を有する町です。同町は東日本大震災後の復興の過程で「エコタウンへの挑戦」を掲げ「南三陸町バイオマス産業都市構想」を策定。2014年3月に国の認定を受けました。その後、南三陸町では構想の実現に向けて、様々な取り組みが進んでいます。この南三陸町の取り組みは、単なる震災復興だけではなく、多くの地方自治体にとって参考になり得ます。

そこで本コラムでは、南三陸町総合計画の将来像である「森里海ひと いのちめぐるまち 南三陸」の実現のために人材育成などを行っている一般社団法人サスティナビリティセンターの代表理事太齋様に、南三陸バイオマス産業都市構想の経済・社会・環境影響について、参考事例などを交えて連載していただきます。第4回は、町の将来像を実現させるために大きな役割を果たしている「バイオマス産業都市構想」ができるまでをご紹介いただきます。(写真は南三陸町バイオマス産業都市構想)

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震災からわずか3年後にバイオマス産業都市構想ができたきっかけ

190711_minamisanriku_image_001.png.jpg「南三陸町バイオマス産業都市構想」が策定されてから5年が過ぎました。今回はこの計画が生まれたキッカケとまちづくりに与えた影響についてあらためて考えてみたいと思います。東日本大震災後の混乱のなかで、わずか3年後に循環型の地域づくりを目指すこの構想が打ち出されたことは、奇跡のような出来事です。とはいえ、何もないところに奇跡は起きません。そこには積み重なる歴史や地域の人々の思い、自然環境活用センターの活動など、南三陸が培ってきた前提があったことは間違いありません。(写真は震災前の自然環境活用センターの様子)

その上で、直接的なキッカケをあらためて振り返ると、震災後間もない頃、仮設役場のプレハブを佐藤博之氏(現・アミタ(株)社長)が訪ねてこられたことに始まります。最初に応対した震災復興企画課の野口実基課長補佐(宮城県より派遣)が、水産業振興係長だった私のところに行ってみたら、と紹介して下さったそうです。同じ職員とはいえ、特に接点がなかった私を、野口さんがどのような意図でご紹介下さったのか、その後確かめる機会もないまま過ぎてしまいましたが、とにもかくにも、佐藤さんと狭いプレハブの中でお話をすることになったのでした。

前職でグリーン購入の普及にも関わっておられた佐藤さんとはすぐ意気投合しました。私自身、生態学をベースとした持続可能なまちづくりをしたいという思いもあり、「どうやって残った資源を活用しながら町の復興を実現するか」という話題に行き着くまでにさほど時間はかかりませんでした。

この時、私が魅力に感じたのは、これまでにない循環型の産業が町に付加されるのではないかという期待感、そして、その一翼を担って頂ける企業に出会えたのではないかという期待感でした。

一次的なボランティアの後、継続する事業を作る難しさ

行政職員として、また、住民の一人として、震災復興を考える上で確信していたのは、南三陸はどんなにがんばっても東京や仙台にはならないし、ディズニーランドもトヨタの工場もつくられることはないという点でした。万が一、間違って大企業の生産工場を呼び込めたとしても、その後撤退されたら痛手は呼び込む前の数倍です。ですので、必要なことは、地域の身の丈に合った産業の芽を出し伸ばすことだと思っていました。

震災後は本当に数多くの企業さんが来町され、たくさんのご支援も頂きました。そのことにはいくら感謝してもしきれませんが、一方で本業での関わりを持って頂けるかどうか、という視点は常に忘れずに接してきました。しかし残念ながら、南三陸で事業を立ち上げるという会社はほとんどありませんでした。特に大きな企業であればあるほど、南三陸のような地域で利益を生み出す活動は困難である、という結論に達せざるを得なかったのでしょう。

地域で事業を興すには、地域の産業や住民意識との兼ね合いも重要となってきます。例えば、水産加工業が基幹産業である南三陸町では、同じ水産加工の企業誘致はうまく進みませんでした。ですので、既存の産業と競合せず、なおかつ自社の事業で町の発展に貢献して頂ける事業者を誘致するということが肝となるのですが、100社を超える方々とお話しさせて頂いても、そんな都合の良い事業者と出会えることは滅多にないということを思い知りました。

そんななかで出会ったアミタの皆さんは、本気で持続可能な社会に挑む意識を持っている社員が多く、良い意味でとても変わった会社でした(笑)。組織の中では変わり者の部類に入る私と意気投合し、それこそ夜な夜な議論を重ねて「循環型で持続可能なまちづくりを事業活動で実現する」というビジョンを共有できたことが、その後のバイオマス産業都市構想の立案・実現へとつながっていったのです。その後、アミタ(株)は町に事務所を構え、バイオガス事業への投資を行い、その運用の役割を担っていきます。震災から5年も経つと、ボランティア文脈で関わって下さっていた企業は、一定の役割を終えたとばかりだんだんと疎遠になりましたが、アミタさんは本業で関わることを決定し、地域に残った数少ない事例となっています。

地域との対話と実証試験で具現化された事業構想

190711_minamisanriku_image_002.jpgもちろん最初から詳細な事業設計図があったわけではありません。まずは地域実情を知り、地域の方と意見を交わしながら事業を構築することが重要でした。手始めに、町に残った資源である山の担い手と資源を活かす方法を話し合いました。森林組合や製材所など、これまで地道に山を守ってきた方々との対話で、南三陸杉への強い愛着と、一方で木材価格の低下や、間伐の入らない人工林、林地残材の問題を共通の話題とし、その解決策を議論しました。それらの議論は後にバイオマス産業都市構想に具体的に盛り込まれていくことになります。(図は地元の方々と議論している様子)

アミタ社が、町の行政が忙しくて手が回らなかった実証実験を、自ら予算を獲得して実施し、事業性の検討を行ったことも、地域との信頼関係構築に一役買いました。

190711_minamisanriku_image_003.jpg住民意識との兼ね合いという点では、町内のある行政区を対象に生ごみ分別試験を行ったことがひとつの転機となりました。その中で、「何か地域に貢献できることをしたい」という地域のお母さん方の思いの強さを実感するに至りました。家庭での生ごみ分別という行動が、地域循環の液肥とエネルギーを生み出し、地域循環と災害対応力の向上に貢献することを理解して頂いたことで、住民の共感と協力が生まれ、その後のバイオガス事業導入の後押しとなったのです。(写真は生ごみ分別試験の様子)

これらの作業を地道に進めたアミタ社の成果があった上で、バイオマス産業都市構想として取りまとめられ、町の政策に取り入れられることが実現したのです。もちろん、行政職員や住民のなかにも環境に配慮した誇りを持てるまちづくりに共感し、計画づくりに動いた人間が少なからずいたことは忘れずに明記しておきます。

ただし、この時点では、私は先行きを楽観視していませんでした。構想に乗せた計画のうち、良いことは理解されるだろうけれど、FSC®やASC認証の取得にはお金もかかるし、地域の合意形成が必要な事業もありました。バイオガス事業では、液肥を使ってくれる田畑がないと多額の費用を投じて水処理し排水しなければなりません。木質ペレット事業に至っては、まず出口のペレット需要がないと、ペレット工場自体が成り立たない構造です。持続可能なまちづくりへの絵姿を、内外に発信できたことは非常に意味のあることだと感じる一方で、これらの担い手が生まれるまでには、相当な時間がかかるはずだと思っておりました。

構想をきっかけに具現化に向けてきら星のごとくプレイヤーが現れた

190711_minamisanriku_image_004.jpgこの予想は良い意味で裏切られることになります。町が「循環型で持続可能な未来図」を掲げたことにより、これに呼応して自ら行動する町内の若手経営者らがどんどん現れたのです。県内初のFSC®FM認証取得の立役者である、佐藤太一氏。今では若手森林経営者の代表格の存在感を放ち、忙しく飛び回っています。彼の尽力もあり、新たに建てた行政庁舎と生涯学習センターは、全国でも数少ないプロジェクト認証(全体認証)を取得しました。(写真は南三陸町役場新庁舎)

バイオガス施設の導入により、ゴミの運搬の仕事が減った山藤運輸の佐藤克哉氏は、これを機会と捉え、液肥散布車を導入して液肥散布事業に乗り出しました。いまでは、この町の循環型農業になくてはならない存在として、農地の耕運のサービスなども提供しています。

循環型農業でいえば、いち早く液肥を使った農業に取り組んでみせた阿部勝善氏も忘れてはなりません。泊崎荘下道荘をはじめ、液肥の元となる生ごみ分別に取り組む事業者も増えてきました。紙芝居で生ごみ分別の重要性を分かりやすく伝える工藤真弓さんの存在も欠かせません。海のASC認証取得の経緯は前回までにお伝えしたとおり、後藤清広氏らの尽力がありました。

震災で多くを失った南三陸で、きら星のごとく現れたプレイヤーの皆さんのおかげで、南三陸町バイオマス産業都市構想は私の予想を超えたスピードで実現していくことになったのです。恥ずかしながらこれらの方々のうち、震災前に交流があったのは数名のみで、10年以上住んでいたのに、全く接点もなかった方々がほとんどです。

まずは「旗」を掲げ、共感できるビジョンを共有することこそが重要であり、それによって担い手となる人材がどんどん現れ、構想が現実化していくという様を、間近で思い知ることとなりました。もちろん、ビジョンを共有するためには、はじめに地域の方々との対話がないと始まりませんし、それも単に話を聞くというのではなく、自分のビジョンも持った上でどうしたら一緒に課題解決に挑めるかという姿勢で接することが重要です。このことは、地域で仕事をする際にはどこにでも当てはまることかと思います。南三陸の事例が、他の地域の参考になれば幸いに思います。

もちろんバイオマス産業都市構想で掲げた計画がすべてうまくいっているかといえばそうではありません。ペレット製造などまだ実現できていない事業があったり、生ごみの収集率が目標に届いていなかったりなどの課題があるのは事実です。ちょっと気を抜くとすぐに後退してしまいかねない状況であるともいえるでしょう。このことに対し、南三陸が挑む次の一手について、次回はお話しいたします。

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執筆者プロフィール

mr.dazai_s.jpg太齋 彰浩(だざい あきひろ)氏
一般社団法人サスティナビリティセンター

代表理事

民間研究所での研究生活を経た後、地域密着型の教育活動を志し、志津川町(現・南三陸町)へ移住。東日本大震災で後は、行政職員として水産業の復興に取り組むとともに、「地域循環の仕組み」づくりに注力。平成30年4月、有志により(一社)サスティナビリティセンターを設立。現在は、世界に誇れるまちづくりを自分事として目指す人々の支援を行うとともに、持続可能なまちづくりを担うリーダーを養成するためのプログラム開発を行う。

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