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コラム

敷島製パン株式会社|代表取締役社長 盛田淳夫氏 シリーズ「経営者が語る創業イノベーション」インタビュー(第一回)経営者が語る創業イノベーション

01_shikishima_top.png創業者は、社会の課題解決のため、また、人々のより豊かな幸せを願って起業しました。その後、今日までその企業が存続・発展しているとすれば、それは、不易流行を考え抜きながら、今日よく言われるイノベーションの実践の積み重ねがあったからこそ、と考えます。

昨今、社会構造は複雑化し、人々の価値観が変化するなか、20世紀型資本主義の在りようでは、今後、社会が持続的に発展することは困難であると多くの人が思い始めています。企業が、今後の人々の幸せや豊かさのために何ができるか、を考える時、いまいちど創業の精神に立ち返ることで、進むべき指針が見えてくるのでは、と考えました。

社会課題にチャレンジしておられる企業経営者の方々に、創業の精神に立ち返りつつ、経営者としての生きざまと思想に触れながらお話を伺い、これからの社会における企業の使命と可能性について考える場にしていただければ幸いです。

(公益社団法人日本フィランソロピー協会理事長 高橋陽子)

敷島製パン株式会社「経営者が語る創業イノベーション」インタビュー
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社長として会社を導くべき機軸とは?

高橋:平成10年、1998年に社長になられて、これからどう会社を舵取りしていくかというとき、曾祖父である盛田善平氏が米騒動を機に創業されたことを思い起こし、それに重ねて、日本の食料自給率を高めるという構想を練られたということですが、そのときの思いは、どういうものだったのでしょうか?

01_shikishima_001.jpg盛田社長:まず、当時の社会環境があります。就任してまもなく、ある食品メーカーで食中毒事件が起こり、食品に対する消費者の目が厳しくなりました。それまでクレームとしては見られなかったものがクレームになり、従来の意識の延長線上で同じことをしていたのでは、受け入れられなくなりました。世の中の人々の感覚が変わったことを、肌身で感じたのです。これを機に、食品メーカーのみなさんの意識も変わりました。

そのときに、いままでと同じ考え方でやっていてはいけないという、自分なりの危機感が生まれました。そこで社内では「意識を変えなきゃいけない」という話をしつつ、一方で「社長としてどういう方向に、なにを機軸として会社を導いていったらいいか」と、真剣に考え始めました。

写真説明:五代目である盛田社長は、日本の食料自給率向上に貢献するために、国産小麦「ゆめちから」を使ったパンづくりを決意。国産小麦は難しいというパン業界の常識にチャレンジした盛田社長を支えたのは、曾祖父の創業理念でした。

高橋:社長になられた前とあとでは、ご自身の意識も変わったと?

盛田社長:それまで考えていなかった訳ではありませんが、社長としての立場は違います。数字的な中期計画や利益目標がどうとか、事業領域がどうとかの話はしていましたが、それとは違う次元です。

「基本的な理念として、自分で確信が持てる方向性はなんだろう」と考えたときに、曾祖父の盛田善平の作った創業の理念、創業精神を振り返ってみました。曾祖父が創業したのは、経済不況による混乱のなか各地で米騒動※が起きていたころです。

※第一次世界大戦の終わる年1918年7月に富山ではじまった米騒動は、瞬く間に全国に広がった。(編集部)

「事業は社会に貢献するところがあれば発展する」

01_shikishima_002.jpg高橋:米不足で米の価格が高騰したのを機に商人たちが米を買い占めたことで、富山のお母さんたちが米問屋に押しかけたのが発端だそうですね。

盛田社長:その状況に危機感を感じた曾祖父は、パンを通じて食料事情を改善しようと、1920年に敷島製パンを立ちあげました。そのときの理念が、「金儲けは結果であり、目的ではない。食糧難の解決が開業の第一の意義であり、事業は社会に貢献するところがあれば発展する」です。

写真説明:敷島製パン創業当時、パン焼き窯の前でパン作りを指導したドイツ人のパン職人ハインリッヒ・フロインドリーブ氏(右から四人目)と創業者の盛田善平氏(右から五人目)。その後神戸でベーカリーを続けるフロインドリーブ家とは現在も交流が続いています。

高橋:創業者である盛田善平氏は、まさに当時の社会課題の解決にチャレンジなさった。

盛田社長:そのことを再認識して、「ではその理念を、いまの会社に置きかえたときに、どうなんだろう」と繰り返し考えました。器用な会社じゃないので、突飛なことはできません。われわれがやっているのはパンづくりだ。このパンづくりを通じて、創業理念をいまの時代にどう組み替えできるか。

高橋:そこに重なるものがあったんですね。

盛田社長:その当時、食料自給率※の問題がありました。米の消費量が減っていて、日本の農政は米が中心なので、米の消費が減っているのは、パンが増えてきたからだ。米の敵はパンだといわんばかりの論理が、飛び交ったことがありました。そういわれても、われわれは一生懸命ものづくりをして、お客さまに届けています。消費者のみなさんの選択の結果ですし、お客さまの求めるもの、おいしいものを作って届けることが、われわれの果たすべき役割です。それを敵だといわれて、存在意義を否定されるような目で見られるのは、かなわないなと思いました。

※日本の食料自給率は、農林水産省の調べで1965年ではカロリーベースで73%あったが、2000年には40%にまで減少していた。(編集部)

そこで考えたのが、われわれが、食料自給率を引き上げる牽引役になれないのかということです。パンの原料は100パーセント近くが輸入ですから、食料自給率を阻害しているといわれたら、数字的にはそうかもしれない。しかし待てよ。そうであれば、逆に貢献できることがあるじゃないか。見向きもされなかった国産小麦に取り組むことで、食料自給率を上げる立場になれば、社会貢献できるのではないか。それこそが、創業の理念と一致していることではないか。よし、私はこれで行くと決めました。

「ゆめちから」との運命的な出会い

01_shikishima_003.jpg高橋:2008年のことですね。盛田善平氏が食糧難の解決を目指して創業されてから88年目。理念としては軸ができました。では、どうやっていくか、ということになりますが。

盛田社長:その点でいうと、言ってはみたけれど、なんの手がかりもなかったんです。具体的なことは、この先5年かかるか10年かかるか、もっとかかるかもしれないけれど取りあえず旗を揚げようと、宣言しちゃいました。

写真説明:「国産小麦に取り組むことで、食料自給率を上げる立場になれば、社会貢献できる」と力説する盛田氏

高橋:全国紙の取材に「日本の食料自給率の向上に寄与する」と答えてから、その記事が掲載される前日に、各部門長の方々に「国産小麦の開発育成に着手する。至急、関係者にアプローチせよ」というメールを送られたとお聞きしました。そうなると、ワクワクした人もいたでしょうけど...
 
盛田社長:あわてた人もいたようです。どうするんだ、みたいな。(笑)

高橋:それで、どうしようかとなったときに、北海道農業研究センターの山内宏昭先生(現在は帯広畜産大学食品科学研究部門加工・利用学分野教授)とお会いになったんですね。それをきっかけに、偶然なのか必然なのかさまざまな出会いがあった。

盛田社長:「運命のめぐり合わせ」としかいいようのないタイミングでした。

高橋:御社の中央研究所(当時)にいらした方が、以前から山内先生と交流があったということですが、すぐに、お互い通じるものがあったのでしょうか?

盛田社長:山内先生から、開発中の小麦ができたらパンを試作して欲しいと伺ったこともあり、相談してみると「あのときの新品種ができる、まさにいいタイミング」だとおっしゃった。それが「ゆめちから」でした。さっそく試作して食べてみると、ほんとに目からうろこじゃないけれど、それまでの国産小麦で作ったパンの品質とは、ぜんぜん次元が違った。

業界でパン用小麦といえば、当時はカナダ産とアメリカ産が主体。アメリカ産でもカナダの国境に近いエリアで採れる小麦が、日本の食パンには一番適しているといわれていました。それをベンチマークにすると、それまで採れている日本の国産小麦で作ったパンでは、全くかなわない。こんなものしかできないだろうな、という感覚でした。ところが試食したときに、これは品質で負けない、日本の小麦でこんなパンができる、すごいなと思いました。それこそ、ひとめぼれに近い。

高橋:「ゆめちから」にひとめぼれしたんですね。(笑)

盛田社長:出会ったときは、「ゆめちから」という正式な名前ではなくて「北海261号」でした。会社に来られた山内先生は、「日本に、なんとかしてパンづくりに最適な小麦を根付かせたい」と熱弁を振るわれました。私もそれに応えて、「国産小麦のパンを作りたい。こういう品種があれば、うちが事業のなかで原料として使おうと思う」と熱っぽく語っていたらしいんです。

といってもまだ開発したばかりで、「ゆめちから」のことは一部の人しか知りません。本格的に小麦が生産されなければ進めない話でした。そこで、北海道で生産が広がっていくのを成り行き任せで待つのではなく、自分で出かけて、開発された小麦のなにが素晴らしいかを伝えようと考えました。

「これが量産されるようになったら、しっかりと受けとめて事業のなかで原料として使いたいので、是非みなさんに作っていただきたい!」と実際に会って話そうと北海道に出かけました。そのほかにも、いろんな事情を知る必要があるので、農協関係や農協以外の生産者の方、行政の方を含めてお会いすることになり、日本の農業については漠然としたことしか知らなかったので、仕組みなども理解しながらこちらの気持ちを伝えました。

高橋:それでも、「わかりました。すぐに作りましょう」ということにはならなかったんですね。

盛田社長:実際に農家の立場になると、海のものとも山のものともわからない。作ってうまくいかなかったら、大変な損害になりますから、われわれだけの力では、どうしようもないところがあります。農家の方にすれば、山内先生が当時いらっしゃった「北海道農業研究センター」など、栽培レベルで支援するところの協力を得なくてはいけない。すでに試験的な栽培も始まっていたので、その評価も重要です。品質だけではなく、年間を通じた病害虫の問題などもあります。

そういった問題が一つひとつクリアされていって、少しずつ生産量が増えていきました。
収穫して結果がでるのに、最低一年かかりますから、時間がかかるプロセスは避けられません。試験的に始めて4~5年を経て、ようやくいいとなると一気に生産農家が広がってきました。 

(つづく)

話し手プロフィール

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盛田 淳夫 (もりた あつお)
敷島製パン株式会社
代表取締役社長

1954年 愛知県名古屋市生まれ。敷島製パン創業者・盛田善平のひ孫にあたる。1977年 成蹊大学 法学部卒業。日商岩井㈱を経て、1982年 敷島製パン㈱入社。常務・副社長を経て、1998年 代表取締役社長に就任。

主な編・著書 
「ゆめのちから 食の未来を変えるパン」 (ダイヤモンド社) (2014年)

聞き手プロフィール

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高橋 陽子 (たかはし ようこ)氏
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長

岡山県生まれ。1973年津田塾大学学芸学部国際関係学科卒業。高等学校英語講師を経て、上智大学カウンセリング研究所専門カウンセラー養成課程修了、専門カウンセラーの認定を受ける。その後、心理カウンセラーとして生徒・教師・父母のカウンセリングに従事する。1991年より社団法人日本フィランソロピー協会に入職。事務局長・常務理事を経て、2001年6月より理事長。主に、企業の社会貢献を中心としたCSRの推進に従事。NPOや行政との協働事業の提案や、各セクター間の橋渡しをおこない、「民間の果たす公益」の促進に寄与することを目指している。

主な編・著書
『フィランソロピー入門』(海南書房)(1997年)
『60歳からのいきいきボランティア入門』(日本加除出版)(1999年)
『社会貢献へようこそ』(求龍堂)(2005年)

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