カレーハウスCoCo壱番屋|創業者 宗次德二氏 シリーズ「経営者が語る創業イノベーション」インタビュー(第一回) | 企業の環境・CSR・サステナビリティ戦略に役立つ情報が満載!

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コラム

カレーハウスCoCo壱番屋|創業者 宗次德二氏 シリーズ「経営者が語る創業イノベーション」インタビュー(第一回)経営者が語る創業イノベーション

cocoichi_header.jpg創業者は、社会の課題解決のため、また、人々のより豊かな幸せを願って起業しました。その後、今日までその企業が存続・発展しているとすれば、それは、不易流行を考え抜きながら、今日よく言われるイノベーションの実践の積み重ねがあったからこそ、と考えます。

昨今、社会構造は複雑化し、人々の価値観が変化するなか、20世紀型資本主義の在りようでは、今後、社会が持続的に発展することは困難であると多くの人が思い始めています。企業が、今後の人々の幸せや豊かさのために何ができるか、を考える時、いまいちど創業の精神に立ち返ることで、進むべき指針が見えてくるのでは、と考えました。

社会課題にチャレンジしておられる企業経営者の方々に、創業の精神に立ち返りつつ、経営者としての生きざまと思想に触れながらお話を伺い、これからの社会における企業の使命と可能性について考える場にしていただければ幸いです。

(公益社団法人日本フィランソロピー協会理事長 高橋陽子)

カレーハウスCoCo壱番屋「経営者が語る創業イノベーション」インタビュー
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誕生日とおなじ日に亡くなった実父のこと

cocoichi_1-001.JPG高橋:今日は、よろしくお願いいたします。

宗次さんは、いつも宗次流「超お客さま第一主義」を貫いて、お客さまを大切にしていらしたんですが、そういう方が、どういう少年だったのか気になります。

「お父さんが喜んでくれることが、すごく嬉しかった」とお聞きしましたが。

画像説明:クラシック音楽専門の宗次ホールのロビーにて(2016年4月7日)

宗次氏:言いつけを守ったときには、そういうこともありました。
わたしは、私生児として石川県で生まれたんです。そこは、実の母親の居住地で、そのあと実の父親がいた兵庫県に移って、孤児院に預けられました。三歳のときに、尼崎で商売をやっていた宗次さんという夫婦に、引き取られたんですよ。

高橋:では、お父さんというのは、養子縁組先のお父さまのことなんですね。実のご両親とは、会ったことはないんですか?

宗次氏:まったく会わずじまいでしたが、実は一昨年、その父親が亡くなったことを知りました。相続のことで、司法書士の先生から連絡があったんですが、わたしの誕生日とおなじ10月14日に亡くなったということで、びっくりしました。90歳を超えていたようです。

高橋:ご自分の出自がわかったことで、ほっとするような感じはありますか?

宗次氏:亡くなってから訪ねることもなく、そうだったのかくらいです。知りたければ、母親の住所がわかっていたので、いままでも行くことはできました。経営でそれどころではなかったので、そのままでした。

養父の喜ぶ顔が見たくて吸殻を拾った幼いころ

cocoichi_1-002.JPG高橋:そうだったんですね。一方、引き取ってくださったお父さまは、どんな方だったんですか。

宗次氏:ギャンブル狂でした。わたしが生まれた昭和23年に競輪がはじまったんですが、私を引き取ってほどなく、商売そっちのけで、またたく間に財産をなくしたようです。
それでも引き取られた直後の写真があって、父親は帽子にネクタイをして、母親も着物を着てわたしを抱いて、みんな余所行きの格好をしていました。

画像説明:宗次ホールの前で、雨のなかコンサートに来場するお客さまをお迎えする

高橋:養父母になられたときは、大事にしていこうという思いで、記念写真を撮ったんでしょうね。

宗次氏:でも、そのときから競輪にのめり込んでいたようで、その後五歳ぐらいの時には、岡山へ夜逃げしたんです。母親は愛想をつかして名古屋へ行ってしまったので、それから父親とふたりきりの生活になりました。

高橋:どんな生活だったんですか?

宗次氏:父親は日雇いの仕事をしていて、一日、日当300円くらい稼いだようですが、そのほとんどを競輪で使ってしまい、当然生活ができないので、生活保護を受けましたが、それも競輪場で使うという具合でした。

高橋:そんな状況で、ごはんは、なにを食べていたんですか?

宗次氏:ときどきお米を食べて、あとはうどん粉を焼いて塩味で食べてました。出汁をとるイリコを炙って醤油につけたり、カチカチのスルメイカを裂いて、おかずにしたり。六畳くらいの一間を間借していましたが、電気代を払わないから夜になると真っ暗。食卓代わりのリンゴ箱に、細長いロウソクを一本立てました。他にはなにもなかったですね。

高橋:高度成長期のなかで、想像を超える貧しさですね。小さいころの思い出で、忘れがたいものは?

宗次氏:小学校にあがる前の5、6才の頃だと思います。仕事を終えて、夕方の6時頃に帰って来るお父ちゃんを待っていると、隣の家の縁側から夕食の食卓が見えるんです。お母さんがひとつの卵を溶いて、ふたりの子どもに分けている。その光景が目に焼き付いて、うちには卵かけごはんすらなかったから、あこがれでしたね。
その頃のわたしには、お父ちゃんが帰って来る前にする、ひとつの仕事がありました。
家から2、3キロいったところ、瀬戸内海に面して三井造船所があって、企業の城下町というほどではないけれど、小さなアーケード街がありました。そこのパチンコ屋に行くんですよ。パチンコをしている大人の足を掻き分けて、床に落ちている吸殻を拾うのが、わたしの日課でした。
それをリンゴ箱の上に置いておくと、父親は、キセルで吸っていましたよ。

高橋:逆境にも負けない、いい子だったんですね。

宗次氏:喜んでもらおうと思ったんでしょうね。でも子どもですから、夏になると、裏の山でチャンバラごっこに夢中になっていると、父親が先に帰っている。そんな時は、叩かれました。

高橋:喜んでほしいという思いに、宗次さんの、根っこになる部分を感じるような気がします。小さいときに苦労されて、小学校では、どうだったのでしょう。給食があったから、食事の状態は、少しはよくなったのでしょうね。

宗次氏:そうですね。いい思い出もありましてね。遠足のときに何度か、クラスの子のお母さんが、わたしのためにお弁当を作ってくれたんです。カバヤキャラメルや、二分の一にカットしたバナナも入っていて、嬉しかったんですよ。

高橋:それはいい話ですね。宗次くんのことを、気にしてくださったんですね。

宗次氏:その人たちを訪ねようと、探したことがあるんですが、見つかりませんでした。

高橋:貧しいながらも、元気に遊んだり、遠足のお弁当を作ってもらったり、もともと朗らかで、好感をもたれる性格だったんですね。

宗次氏:楽しくやっていて、人気者ではありました。風呂にもろくに入ったことがなかったくらいですが、いじめられたことはないんです。夏はたらいで行水。冬は、父親の機嫌がいいときだけ、自転車の後ろに乗せられて銭湯に行きました。風呂好きの父親だけは、毎日のように行っていましたけど。

高橋:まあ、ほんとに自分勝手なお父さんですね。

宗次氏:洗面器をもって自転車の後ろに乗せられて、いきなりペダルをこぐものだから、落ちて、後頭部をたたき付けられたこともありました。

高橋:それでも、お父さんのことを嫌いにならなかったんですね。

宗次氏:基本的には好きでした。唯一の家族でしたから、捨てられたら困るという防衛本能もあったんでしょうね。

こころを震わせたクラッシック音楽との出会い

高橋:そのお父さんが癌で亡くなられて、お母さんと一緒に住むようになり「普通の貧しさ」になったと。(笑)

cocoichi_1-003.JPG宗次氏:中学三年の三学期のころでした。母親が、賄い婦の仕事をしていたので、2000円の家賃もきちんと払えるようになり、電気も灯って、裸電球のもとで生活がはじまりました。

高橋:それが「普通の貧しさ」なんですね。

宗次氏:中学の先生に勧められて、公立の高校にも行くことができました。そこで出会ったクラスの友達の家のお豆腐屋さんで、アルバイトもさせてもらいました。

画像説明:高校生のときに、メンデルスゾーンを聴いて、世の中にこんなすばらしい曲があるんだと、こころが震えました

高橋:そのころに、音楽との出会いがあったとか。

宗次氏:アルバイト代で、ナショナルのポータブルレコーダーを中古で手に入れました。それで、母親が譲り受けたテレビで見た「N響アワー」を録音したんです。メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲でした。それを聴いたときに、世の中にこんなすばらしい曲があるんだと。琴線に触れるという、まさにそれです。高校一年の6月くらいでした。

高橋:それが、宗次ホールにつながるんですね。そのことは、あとで伺うこととして。高校を卒業なさってからは?

宗次氏:不動産取引の会社に就職してから、建築の営業もやろうと、大和ハウスに転職しました。

高橋:そこで、奥さまと出会われた?

宗次氏:配属された先で一緒でした。わたしは当時から誰よりも早く出社して、おなじように早く出社して働く、一生懸命な仕事ぶりにほれ込んで、お付き合いを申し込んだんです。それから1年半後に結婚。独立して不動産の仲介業をはじめました。ふたりで最初の喫茶店「バッカス」を開店したのは、それから一年後の25歳のときでした。

高橋:四年後に実現するカレーハウスCoCo壱番屋への第一歩がはじまったわけですね。

(つづく)

話し手プロフィール

mr.munetsugu_pro.jpg宗次 德ニ(むねつぐ とくじ)氏
カレーハウスCoCo壱番屋
創業者

1948年(昭和23年)10月14日 生(出身地 石川県)
1967年(昭和42年)3月 愛知県立小牧高等学校 卒業
1967年(昭和42年)4月 八(や)洲(しま)開発 株式会社 入社
1970年(昭和45年)2月 大和ハウス工業 株式会社 入社
1973年(昭和48年)10月 不動産業 岩倉沿線土地 開業
1974年(昭和49年)10月 喫茶店 バッカス 開業
1978年(昭和53年)1月 カレーハウスCoCo壱番屋創業
1982年(昭和57年)7月 株式会社壱番屋設立 代表取締役社長 就任
1998年(平成10年)6月 株式会社壱番屋 代表取締役会長 就任
2002年(平成14年)6月 株式会社壱番屋 創業者特別顧問 就任
※肩書  カレーハウスCoCo壱番屋 創業者

その他経歴
2003年(平成15年)1月 NPO法人 イエロー・エンジェル設立 理事長就任
2007年(平成19年)3月 クラシック専用「宗次ホール」オープン 代表就任
2012年(平成24年)4月 株式会社 ライトアップ(※講演依頼窓口)設立 代表就任
2013年(平成25年)7月 NPO法人 クラシック・ファン・クラブ設立 理事長就任
      
■ 著書 
「宗次流日めくり 達人シリーズ 日々のことば」2009.11
「日本一の変人経営者」(ダイヤモンド社)  2009.11
「CoCo壱番屋 答えはすべてお客様の声にあり」(日経ビジネス人文庫)
「夢を持つな! 目標を持て!」(商業界) 2010.11

■ 表彰
アントレプレナー大賞部門
中部ニュービジネス協議会会長賞 受賞 1994年11月
2004年 第6回企業家賞 受賞 2004年6月
まちかどのフィランソロピスト賞 受賞 2007年11月
名古屋市芸術奨励賞 受賞 2012年1月
(http://www.munetsugu.jp)

聞き手プロフィール

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高橋 陽子 (たかはし ようこ)
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長

岡山県生まれ。1973年津田塾大学学芸学部国際関係学科卒業。高等学校英語講師を経て、上智大学カウンセリング研究所専門カウンセラー養成課程修了、専門カウンセラーの認定を受ける。その後、心理カウンセラーとして生徒・教師・父母のカウンセリングに従事する。1991年より社団法人日本フィランソロピー協会に入職。事務局長・常務理事を経て、2001年6月より理事長。主に、企業の社会貢献を中心としたCSRの推進に従事。NPOや行政との協働事業の提案や、各セクター間の橋渡しをおこない、「民間の果たす公益」の促進に寄与することを目指している。

主な編・著書

  • 『フィランソロピー入門』(海南書房)(1997年)
  • 『60歳からのいきいきボランティア入門』(日本加除出版)(1999年)
  • 『社会貢献へようこそ』(求龍堂)(2005年)
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