敷島製パン株式会社|代表取締役社長 盛田淳夫氏 シリーズ「経営者が語る創業イノベーション」インタビュー(第二回) | 企業のサステナビリティ経営・自治体の町づくりに役立つ情報が満載

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コラム

敷島製パン株式会社|代表取締役社長 盛田淳夫氏 シリーズ「経営者が語る創業イノベーション」インタビュー(第二回)経営者が語る創業イノベーション

01_shikishima_top.png創業者は、社会の課題解決のため、また、人々のより豊かな幸せを願って起業しました。その後、今日までその企業が存続・発展しているとすれば、それは、不易流行を考え抜きながら、今日よく言われるイノベーションの実践の積み重ねがあったからこそ、と考えます。

昨今、社会構造は複雑化し、人々の価値観が変化するなか、20世紀型資本主義の在りようでは、今後、社会が持続的に発展することは困難であると多くの人が思い始めています。企業が、今後の人々の幸せや豊かさのために何ができるか、を考える時、いまいちど創業の精神に立ち返ることで、進むべき指針が見えてくるのでは、と考えました。

社会課題にチャレンジしておられる企業経営者の方々に、創業の精神に立ち返りつつ、経営者としての生きざまと思想に触れながらお話を伺い、これからの社会における企業の使命と可能性について考える場にしていただければ幸いです。

(公益社団法人日本フィランソロピー協会理事長 高橋陽子)

敷島製パン株式会社「経営者が語る創業イノベーション」インタビュー
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ベクトルを合わせていく過程の大切さ

02_shikishima_001.jpg高橋:前回のお話では、1998年に敷島製パンの社長に就任されて、会社の進むべき方向を模索されているころ、ある食品メーカーでの食中毒事件が社会的な問題となっており、一方で日本の食料自給率の低下が問題となっていました。
そこで、曾祖父の盛田善平氏の創業理念に立ち返って考え、国産小麦でパンを作ることで、日本の食料自給率の向上に貢献しようと決意された。それから運命のめぐり合わせで、新品種の「ゆめちから」と出会い、国産小麦の開発からパンづくりの連携のために北海道に行かれた、といったお話をうかがいました。

北海道では、それぞれの方面で、キーパーソンになる方と出会ったんですね。

写真説明:「話して理解しあうことでベクトルが合ってくる」と語る盛田社長

盛田社長:私は、すべての方にお会いできてはいないと思います。ホクレンさんと、十勝を中心にした自主的な農家さんの集まりである「チホク会」。この「チホク会」では、けっこうな規模で農業をやっていらっしゃるので、会長(当時)の道下公浩さんにお会いしました。直接いろんなお話をさせていただきながら、われわれの考え方をご理解いただいたことで、「ゆめちから」の輪が少しずつ広がりました。

高橋:いろんな方々が係わると、なにかがあったときにだれがリスクを被るか、といったこともあるかと思いますが。

盛田社長:お互いにリスクがありますから、どうベクトルを合わせていくかという過程が、大事だと思っています。話をすることで理解が進んで、ベクトルが合ってくる。そうするなかで、「それぞれにリスクはあるけれど、チャレンジしてみよう」という気分になったんではないかと思います。

高橋:帯広で、アスパラガスやチーズを作っている農家さんに話を聞いたことがあります。旭川辺りは米づくりが中心で共同してやっていらっしゃるけれど、帯広は一匹狼でやる方が多いとおっしゃっていました。ですから帯広の小麦農家さんも、チャレンジャーといいますか、開拓者精神のような気質の強い方が多いのかなと感じました。

盛田社長:それで、国産小麦の話にも「こいつは面白そうだ」と思ってくれたのかもしれませんね。
「チホク会」は、そもそも農協さんの組織に頼らずに、自主独立的に動こうとする人たちの集まりなので、基本的にチャレンジ精神をお持ちなのかもしれません。

高橋:それから試行錯誤の時期があった。その間、社内では心配する雰囲気はありませんでしたか?

盛田社長:私自身は、社内でそういった雰囲気があると思ってはいませんでしたが、客観的に考えれば、訳のわからないことを始めたという冷ややかな目で見ていたかもしれないし、一部の関係者以外は、半信半疑だったと思いますよ。

「社会から生かされている」思い

高橋:ご自身としては、それでも気持ちが揺らぐことはなかったんですね。

盛田社長:当然、ある種のリスクは感じていました。
高らかに声をあげてやってみたものの、製品の品質がよくなかったり、原料も調達できなかったりと、いろんなことが考えられます。そうした不安材料はありましたが、自分としては、絶対に取り組むべきものだという確信がありました。

それと理念に通じることですが、長く社長を続けるなかで、自分の気持ちを裏打ちしている部分に「社会から生かされている」という思いがあります。 
弊社は、自分勝手な論理で生きている訳ではありません。製品特性からして、毎日、何十万、何百万個という製品を作り、市場に送り届けています。それを、毎日お客さまが買ってくださっている。そのお客さまが製品を支持してくださるからこそ、利益がでてくる。ということは、何百万というお客さまは社会そのものではないか。うちは、社会から生かされている。そういう気持ちになる訳です。

それは同時に、社会から支持され続けないと生き残っていけないということです。

02_shikishima_002.jpg社会から(社会=お客さまですけれど)期待されることや、不満に思っていることがあるかもしれません。期待されているのであれば応える努力をする。不満があるとすれば解消する努力をする。その考え方でいくと、社会に支持される会社であるためには、自分たちのやっていることが、結果として社会に貢献できないと意味がない。
こう考えを巡らせると、この取り組みは、創業理念である「事業は社会に貢献すればこそ発展する」にぴったりと結びつく。多少時間がかかっても、仮にうまくいかなかったとしても、やり続ける価値はある。心配な部分より、その気持ちの方が大きかったので、乗り越えられると思いました。

写真説明:「社会から生かされている思いと、創業理念がぴったりと結びつきました」

高橋:いまおっしゃった企業の在り様について、社員との共有はどのような形でなさっているんですか?

盛田社長:毎年、新年度がはじまる9月に経営方針を出しています。9月がはじまると、各工場や地方の営業所を回って経営方針を解説していますが、そのなかで、毎年繰り返し、繰り返し、会社として社会に貢献していくことに触れています。

高橋:こういうメッセージは、繰り返し伝えなければいけないものですね。
御社のCSRの報告書を拝見して思うんですが、盛田社長は、「わが社は」ではなく「わたしは」という一人称で語られています。それがすごく大事だなと思うんです。そうすると社員の方も、わが社というのではなく、自ずと「自分ごと」になっていくのではないかと感じます。

盛田社長:ちょうど2020年が創業100周年になります。東京オリンピックと同じです。あと5年といっても、あっという間に来ますから、今年の経営方針のなかで、「これからの5年は、どういう歩みをすべきなのか」という話をしました。

1920年に創業して95年の歴史と伝統があります。教訓もあるし、いろんな課題や問題を乗り越えてチャレンジもしてきました。成功も失敗もあり、さまざまな経験を積んだ95年には学ぶ価値はあるけれど、だからといってこれから先の保証はありません。では、これから先をどうしたらいいかというと、新しい歴史と伝統を毎日作り続けていくこと。だれかがやってくれるのではなく、みんな一人ひとりが、歴史と伝統を作る責任と役割があるという話をしている最中です。

業界を超えて、国産小麦の需要の裾野を広げたい

02_shikishima_003.jpg高橋:私どもは、いま、子どもたちのために、地域での課題解決を目指した、募金・寄付を核にした教育プログラムをやっています。
自分で課題について考えて議論し、地域の人と関わることで、子どもたちにとっては教育的効果が高いと思っているんですが、これに関して「共視」体験が重要だとわかりました。お互いを見合っている間はまだ関係が浅く、「共に視る」こと、つまり一緒に同じ方向を視ることによって、お互いの関係も深まるんだそうです。
北海道での出会いをお聞きすると、国産小麦「ゆめちから」のために、仲間として同じ方向を向いて、生産者さん、製粉業者さんが結集してきたといえますね。

写真説明:「国産小麦の需要をあげる機関車役で、まわりの業界を牽引したい」

盛田社長:今回のことで、ベクトルを合わせることが一番大事だと思いました。
いま、国が、農業の六次産業化について提唱していますが、よく考えると、「ゆめちから」の取り組みでやってきたプロセスは、具体的に会社法人を作ったりはしていませんが、まさに六次産業化です。

高橋:すばらしいと思うのは、地域ブランドや六次産業化などで、自分の会社を発展させることになりがちですが、「ゆめちから」を公共のブランドにするところです。 

盛田社長:これは、独占してやろうというビジネスモデルにはならないと思いました。 
食料自給率を上げていくことは、一企業としては大きすぎる目標です。その理念にそった行動をしようと思うと、われわれ以外の利用者の裾野が広がっていかないと、大きな流れになりません。安定した生産地もなく、わが社だけに限られては、作る意欲が減ってしまいます。

ライバル会社であってもなくても、小麦の需要が大きくなれば裾野は広がります。そのなかで、弊社として、独自のマーケティング努力や企業努力でやっていく。

うちも「北海道農業研究センター」さんも、「ゆめちから」という名前の商標登録をしていません。他社さんにもどんどん使っていただいて、国産小麦の需要が上がればいいと思っています。
機関車役というかエンジン役で、まわりの業界を引っ張って行くこと。そこまでいうとおこがましいんですけど、そう納得してやっています。

※敷島製パンでは、「ゆめちから」の名前を広めようと、シンボルマークを作りノーライセンスで提供している。「ゆめちから」を使っていれば、どんな事業者も利用できる。(編集部)

高橋:そこに、私どもの考える「利他のこころ」を見る気がいたします。それを業界だけでなく、業界も超えてやっていらっしゃる。

盛田社長:そうめんなどでも、「ゆめちから」を使ったものが徐々に増えています。某餃子のチェーン店の餃子の皮も、「ゆめちから」を使っているそうです。そういう意味で、ひとつの流れができたことに、満足感はあります。

(つづく)

話し手プロフィール

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盛田 淳夫 (もりた あつお)
敷島製パン株式会社
代表取締役社長

1954年 愛知県名古屋市生まれ。敷島製パン創業者・盛田善平のひ孫にあたる。1977年 成蹊大学 法学部卒業。日商岩井㈱を経て、1982年 敷島製パン㈱入社。常務・副社長を経て、1998年 代表取締役社長に就任。

主な編・著書 
「ゆめのちから 食の未来を変えるパン」 (ダイヤモンド社) (2014年)

聞き手プロフィール

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高橋 陽子 (たかはし ようこ)
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長

岡山県生まれ。1973年津田塾大学学芸学部国際関係学科卒業。高等学校英語講師を経て、上智大学カウンセリング研究所専門カウンセラー養成課程修了、専門カウンセラーの認定を受ける。その後、心理カウンセラーとして生徒・教師・父母のカウンセリングに従事する。1991年より社団法人日本フィランソロピー協会に入職。事務局長・常務理事を経て、2001年6月より理事長。主に、企業の社会貢献を中心としたCSRの推進に従事。NPOや行政との協働事業の提案や、各セクター間の橋渡しをおこない、「民間の果たす公益」の促進に寄与することを目指している。

主な編・著書
『フィランソロピー入門』(海南書房)(1997年)
『60歳からのいきいきボランティア入門』(日本加除出版)(1999年)
『社会貢献へようこそ』(求龍堂)(2005年)

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