ニッスイ事例で読む——自然資本への取り組みが資金調達力に変わるまで

2026年3月、ニッスイが国内初となる「ブルー・ネイチャーボンド」を発行しました。発行額は100億円。しかも、同社にとっては初めての社債発行です。


デビュー債になぜ、海洋生態系の保全を資金使途とする高度なサステナブルファイナンスを選ぶことができたのでしょうか。


答えは、発行の瞬間ではなく、そこに至るまでの約10年の道のりにあります。リスクを可視化する。収益安定性として語る。投資家の評価を変える。そして、新たな資金調達チャネルを開く——。この4つのステップがつながったとき、ブルー・ネイチャーボンドが達成されました。


本記事では、ニッスイの歩みをこの4ステップに沿って分解しながら、自然資本への取り組みが資本市場で評価される構造を説明していきます。

ステップ1:リスクの可視化——事業と自然資本の接点を把握する

すべては、足元のリスクを直視することから始まりました。

▼ニッスイ:TNFDレポート

出典:ニッスイ

ニッスイは天然水産物を年間約271万t、世界21カ国から調達していますが、海洋生態系の変化は、そのまま事業リスクです。だからこそ同社は、2016年から水産資源の科学調査に着手しました。TNFDのフレームワークが整備されると、この評価はさらに精緻になります。『TNFDレポート2025』の中でチリのサーモン養殖バリューチェーンで自然への依存・影響を特定し、物理的リスクと移行リスクの両面から整理しました。

この可視化こそが、すべての起点です。リスクが見えなければ、投資家と対話することも、金融機関に説明することもできません

ただし、ここで立ち止まって考えたいことがあります。リスクを可視化しただけで、資金調達力は向上するでしょうか。実は、その間にはもう一段の壁があります。

越えるべき壁——言葉と指標が噛み合わないとき

その壁とは、社内の「言語の断絶」です。


サステナビリティ部門は「生態系サービスへの依存リスク」で語ります。財務・経営企画部門は「損益への影響」で語ります。使っている言葉と、見ている指標が噛み合わない。どちらも企業価値の向上を目指しているのに、議論が接続しない——。多くの企業に、心当たりのある光景ではないでしょうか。


噛み合わない理由は明快です。自然資本への配慮の効果は、損益の手前にある「資本の状態」に現れるからです。調達の安定性。製造基盤の信頼性。投資家や社会との関係の深さ。いずれも損益計算書には映りません。財務資本の変化は、これら複数の資本が変化した「結果」として、遅れて現れます。


つまり、損益レベルの言葉だけでは、自然資本への取り組みは語れないのです。必要なのは、資本レベルまで視座を上げた「共通の見取り図」であり、共通言語への翻訳です。自然資本・製造資本・社会関係資本が財務資本へ還流する経路を、資本間の相互変換として可視化する。この視点を持つと、ニッスイの歩みを「翻訳・可視化を一貫して実践したプロセス」として読めるようになります。


▼資本の循環構造を定量評価するMEGURU Capital Model

図:IIRC(国際統合報告評議会)のオクトパスモデルを基に、アミタで作成


アミタがMEGURU Capital Model(MCM)を通じて提供しようとするこの「見取り図」と、その考え方については記事後半で解説します。

関連記事:SSBJ時代に問われる「価値創造の見取り図」~「開示に対応する企業」と「価値創造を語る企業」を分けるもの~


では、その翻訳の中身を見ていきましょう。

ステップ2:収益安定性の言語に変換する——TNFD開示他社との差はどこにあるか

ニッスイが選んだ手段の一つが、環境に配慮した養殖への移行でした。

▼ブリの完全養殖のサイクル

出典:ニッスイ

成魚から卵を採取して人工ふ化させ、成長した魚からまた卵を取る。黒瀬ぶり(宮崎・鹿児島)で採用される完全養殖方式は、天然資源の変動に左右されにくい事業モデルです。また、FIVESTARサーモン(チリ)は、チリのグループ会社が親魚の育成から加工までを一貫管理して生産する養殖サーモントラウトのブランドであり、ASC認証(水産養殖管理協議会)の取得により、その持続可能性が第三者証明されています。

ここで注目したいのは、取り組みの「語り方」です。ニッスイはボンド発行の目的を、環境に配慮した養殖を成長事業として投資家に打ち出すため、と説明しました。リスク低減の努力を「守り」ではなく「成長の根拠」として語る。この転換が、翻訳の核心です。

では、TNFD開示をしている他社と、ニッスイとでは何が違ったのでしょうか。


違いは、開示の「使い方」にあります。「開示すること」と「開示を対話の起点にすること」は、別物です。ニッスイは後者を選びました。財務部門が資本戦略の一部として自然資本への取り組みを設計し、投資家説明会で「養殖事業の成長性」として積極的に語りかける。TNFDという枠組みを、言語を合わせるためのツールとして使いこなしたのです。


この違いが、次のステップへの扉を開きました。

ステップ3:投資家評価の変化——数字が示すもの

翻訳の質が上がると、対話の質も変わります。

ニッスイが投資家との対話を本格化させたのは、2023年でした。年初にはサステナビリティ全体を扱う説明会。年央には養殖事業に絞った説明会。年末にはTNFDレポートの発行——。切り口を変えながら、自然資本と事業戦略の接続を繰り返し語りかけました。

翌年の説明会では、投資家の受け止めが変わります。環境に取り組む企業としてではなく、自然資本リスクを先取りして戦略に組み込む企業として、評価されるようになったのです。

市場の指標もそれを裏づけました。2023年1月に0.8倍だったPBR※1は、同年8月には1倍を超えます。PBR1倍割れが常態の水産業界にあって、これは業界の宿命を抜け出す可能性を示す動きでした。PER※2もこの1年で8倍から12.5倍へ。資産の質と将来の成長性、その両方が同時に評価し直された結果です。


リスクを可視化し、収益安定性の言語で語り、投資家と対話する。翻訳の積み重ねが、市場の再評価という具体的な成果に変わっていきました。

ステップ4:新たな資金調達チャネルの獲得——ブルー・ネイチャーボンドが開いた扉

そして2026年3月、ブルー・ネイチャーボンドの発行に至ります。


ニッスイが社債デビューにこの形式を選んだこと自体が「自然資本への取り組みは資本市場で評価される」という確信の表れです。ブルー・ネイチャーボンドの発行に際して策定された「ブルー・ネイチャーファイナンス・フレームワーク」は、格付投資情報センター(R&I)の外部評価により、国際資本市場協会(ICMA)の複数の原則・ガイドとの適合性が認められました。こうしてニッスイのブルー・ネイチャーボンドは国内外の多様な投資家に開かれた商品となったのです。


見逃せない動きが、もう一つあります。三井住友信託銀行との「ネイチャー・インパクトファイナンス」の締結です。TNFDレポートを起点に、自然への影響評価とKPIモニタリングを組み込んだ融資です。これは自然資本への取り組みが「資金調達の条件」と連動し始めていることを示す事例です。


ニッスイのブルー・ネイチャーボンドの発行、資金調達チャネルの多様化は、偶然の結果ではありません。リスクの可視化から始まった因果連鎖が、10年近くをかけて開いた扉です。

MCMの視点で読み直す——この連鎖を自社に引き寄せるには

ここまでの4ステップを、MCMの視点で整理し直してみます。


自然資本への配慮が、養殖事業の安定性(製造資本)を高める。TNFDを通じた対話が、投資家・金融機関との関係(社会関係資本)を強化する。その蓄積が、PBRの改善と資金調達チャネルの拡大(財務資本への還流)として現れる——。損益レベルでは見えなかった連鎖が、資本レベルの視点を持つことで、初めて一つの物語として語れるようになります。そしてこの物語こそが、財務部門・投資家と「言葉を合わせる」ための共通言語になります。


この物語こそが、財務部門・投資家と「言葉を合わせる」ための共通言語になります。


▼資本レベルで見える価値創造の連鎖


作成:アミタ株式会社


この物語を自社に引き寄せるためには、以下の3つの問いが出発点になるのではないでしょうか。

問い①自社の事業は、どの自然資本に依存・影響しているか

ニッスイにとっての「海洋生態系」に当たるものが、自社にとっては何か。その特定が起点です。

問い②そのリスクを「収益安定性の言語」で説明できるか

「環境に取り組んでいる」ではなく、「このリスクをこう低減し、収益安定性につなげている」。この語り方への転換が、翻訳の第一歩です。

問い③TNFDの開示を、投資家・金融機関との対話の起点にできているか

開示はゴールではありません。ニッスイの事例が示すのは、開示を「対話の起点」として使えるかどうかが差を生む、ということです。

おわりに——翻訳することで、扉は開く

ニッスイのブルー・ネイチャーボンドは、最初から目指した到達点ではなかったでしょう。リスクを可視化し、収益安定性として語り、投資家の評価を変えた——その連鎖の先に開いた出口の一つであり、このことは多くのサステナビリティ担当に次なる一歩への励みを与えます。

正しいと信じて続けてきた取り組みを、資本戦略の言語でも語れる時代になっています。ニッスイの歩みが示すのは、自然資本への配慮やサステナビリティへの行動が、正しく翻訳されれば資金調達力に変わるということです。

問われているのは、取り組みの質だけではありません。それを経営・投資家・金融商品の言語へ翻訳できるかどうか。MCMは、その翻訳のための見取り図を提供します。

自社のサステナビリティ対応も、資本間の相互変換として捉え直せば、すでに資金調達戦略の一部として動かせるかもしれません。まずは、自社がどの資本にどう働きかけているのかを整理することから、始めてみてはいかがでしょうか。


MEGURU Capital Model(MCM)の詳細はこちらから
(SEA:Sustainable Executive Alliance 特設サイト)

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執筆者情報

  • おおしげ ひろたか

    大重 宏隆

    アミタ株式会社 おしえて!アミタさん編集部

    シナリオライター、Webプランナー等を経てアミタに合流。広報・マーケティング、ICTソリューションのインサイドセールスやサステナビリティワークショップのファシリテーターなどを経験し、現在おしえて!アミタさん編集部に所属している。

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