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コラム

まずはデータ集めから:第1回対談 グリーンフューチャーズ代表 吉田敬史氏(2/7)藤原仁志の「対談:攻める!環境部」

前回までの話はこちら 「第1回対談 グリーンフューチャーズ代表 吉田 敬史氏(1/7)」

「とにかく、何をやったらいいか、わからなかった。」

藤原: もともと、公害対策専任だった方たった1人が、10人の部署に。

第1回対談 グリーンフューチャーズ代表 吉田敬史氏(2/7)

吉田: ええ、公害対策やっていたころは、経営からも「よきに計らえ」の世界だったから。環境部門設立前に公害担当をしていたK さんは、今までは、経営から公害対策基本方針なんかがでたり、公害防止管理規制という社内規則も定められたことで、それにのっとって業務をやっていたんですね。公害防止査察っていうんですけど、当時はまだ環境監査という言葉がなかったんですよ。公害防止査察という名前で、時々不定期に工場にいって、いまでいう監査をやっていたんです。

だけど、しょせんK さん1人でやっていた話だから本当に「良きに計らえ」というような話で、生粋の江戸っ子だったので「上のやつらぁ、何も知らねーんだよ」って、もうそういう感じです。今では笑い話ですが、そういう世界だったんですよね。

それが、今度は急に本社に統括部門を創るという。初代の環境部長さんは、材料研究所の所長だった方です。新設の部門だから、ある程度のポジションにいる方でないと立ち上げにも支障があるということで。研究所の所長だったから、大体どの事業分野でも名前を知られている。事業部門から出てくる人っていうのは、事業部門では知られているけども、他部門では知らないっていうのがあります。その意味ではよかったんですが、実際の業務は何をやろうかというと、さあ何をしていいかなということになって、だれもわからないわけです。一応部長がいて、課長さんがいて、係長クラスがいてという組織にはなっているんですけど。

わたしはちょうど課長級のランクに上がったところだったけど、当時はまだ若手もいて、その年に採用になった新人にT 君がいました。

藤原: 新人から入ったTさんが第1号で、その組織の、だから12月に立ち上げて、春から入ったということですね。

吉田: そうですね。T君は、91年に入っているんです。だから立ち上げ作業が始まった91年の春に入っている。91年入社で、技術管理部の中で環境部の立ち上げ準備をしていたんです。ですから、新人の彼が僕より先輩ですね。今は、環境部門に新人が配属されるというのはほとんどないんだけど、当時は続けて入ってきてましたね。常務会資料をあとで見たら最初は10人ぐらいからスタートして、95年ぐらいには25人ぐらいの体勢にして、それでやっていくと書いてあるんです。91年は、それにのっとって配属もあったから、もちろん途中から来る人もいたけど、新卒配属があったんですね。新卒の配属っていうのは、その後に一人あって、そこからあとは誰も入ってこなくなりましたけど。

藤原: 今も?

第1回対談 グリーンフューチャーズ代表 吉田敬史氏(2/7)

吉田: 今もってそうですね。初年度、2年目と一人ずつ入ってきて、それからなくなったんですね。本格的に環境部が機能しはじめたのは95年ぐらいからなんですが、いろいろやってみると、新卒じゃやっぱり無理だな、という話が出てきたんです。当時はやっぱり現場を知らないといけないというのが、すごく強くて。工場や何かに対して、やっぱり人を指導、支援する立場の人はある程度の経験がないと、と。指導はできなくても、支援するにしても、ある程度の経験や考え方がなければそれもできないわけです。

そういう感じだったから、今もって新卒っていうのはないんですね。これは三菱電機だけかなと思ったら、日立も東芝も、聞いてみたら同じだったんです。立ち上げのころに入った人は、日立にはいたと思うんだけど、でもそれ以降、最近は採らないという話になってきていますね。これから変わらなきゃいけないのでいつまでもそれではどうかと思うんですけど。

藤原: なるほど。逆に立ち上げのころっていうのは、むしろ新人でないと、なかなかやり手もなかったのかもしれないですね。

吉田: 何をしていいのか分らない、そういうのが先輩の側にもあって。やる気のある若手も、いることはいるんですよね。だけど、結局、指導する人もいない、教える側も何やっていいかわからないわけだから。よほどしっかりしている若手だったら、自分なりの仕事をやれる人もいることはいるんだけど。みんながそういうところになじむわけではないので、結局使い物にならなくなるという感じです。

藤原: なるほどね。

吉田: そうやって最初はやる仕事もなくて、92年の1月からようやく各所にあいさつ回りも終って、さあ仕事しようかというときに上からも指示が出ないし。

藤原: (笑)そうでしょうね。

吉田: 予算の経費の申請をしないといけないので、「何かしなきゃなぁ」ということで、連日集まって、ああだ、こうだって会議やってたんですよ。でも、みんな何にも知らないし、状況が分らない。状況を知っているのは、公害を中心にやってきて「良きに計らえ」って感じでやってきたK さんだけで、「まだこれでいいんだよ」、「人はいらねえよ」なんて、そんな感じでした。

ただ、フロンの話だけは、当時は全廃目標が2000年だったころですが、やるべきことは決まっていましたので、それを実行しようと。まず、各工場での切り替えの計画を出してもらおうという話で、その辺は材料技術者を中心に、工場を回ったりしました。今どんな薬品を、どういうプロセスで使っていて、それをいつまでにどうするつもりかということを、ヒアリングするとか。そういうものをやるためにどのぐらいの開発費がかかるのかとか、そういう見積もり作業を始めたんですね。

藤原: それはもう、ひとつひとつ手作業というか......。

第1回対談 グリーンフューチャーズ代表 吉田敬史氏(2/7)

吉田: そうですね、メインのオゾンのところは、こういうかたちでやることが唯一はっきりしていたのでその材料の研究を中心にやりました。でも、それ以外のところが、何をどうしていいのか分らない。やっぱり上も何も指示出せないし。それだったら、まず環境ということに対して、今三菱電機がどういう状況にあるのかというのは、Kさんの頭の中にはあるかもしれないけども、それではだめなので、やはり工場から直接話を聞いたり、データをもらったりするしかないなと考えて、まずはデータ集めから始めたんです。でも全社でエネルギーをどれくらい使っているかというデータすらもない状態でした。

藤原: 今でしたら、当たり前ですね。

吉田: 何もなし。ただKさんに聞くと、一応そういうのを求める根拠となる社内ルールはあるというんですね。でも形骸化しているというか、全く動いていなかった。それを何とか活用してデータを全部集計しました。

藤原: こつこつとヒアリングされて?

吉田: ヒアリングもあるし、各現場から数字をもらって、そのデータをグラフ化するとか。今だったら、環境リポートで当たり前に書いてあるような数字なんですが、それを最初に一覧できる状態に落とし込んで、「今、わが社はこんな状態ですよ」ということを社長に見せる。

藤原: こんなのですよ、と経営に? 現場には各データはちゃんとあったんですか?

吉田: あるにはありました。ただ、今思えば、それぞれの計り方とか、データの整理方法とかは、事業所やプロセスによっても全然違います。本当に網羅性というか、あとで環境リポートをやるようになってからわかったことですが、それぞれのデータを精査すればするほどだんだん合わなくなる。データをきちんと集めるというのは、そんな簡単なことじゃないなと。

精度を上げれば上げるほど、漏れているものが分ってきたので。今でもそういうところがないわけじゃないですよね。大企業ではみんな正確だというんですけど、本当かなと思います。これから情報開示を義務付けるなんて言われたら......。そういう縛りが入ってくる前に、やっぱり企業ではきっちりやったほうがいいと思っていますが、データ精度を上げてきちんと管理するというのは、相当時間が掛かります。そんなところで精度が悪いけど、測ってみて、まとめという作業をやってみてはじめて感触がつかめましたね。

藤原: 国内単体といっても、相応の工場がありますよね。

吉田: 20数工場あるから、それを全部。

藤原: どれぐらい時間が掛かりました?

吉田: 着手してから半年ぐらい掛かったかな。

藤原: 吉田さんおひとりで?

吉田: だって、ひとりでも何かやってないと面白くないでしょう。1人コツコツと。

藤原: (笑)あいつはなにやってるの、とかなりませんでしたか?

吉田: 1人環境リポートみたいなのをつくったんです。エネルギーの使用のグラフとか、これが実態だみたいなのを手作りでやったんです。これはおもしろかったですよ。

第1回対談 グリーンフューチャーズ代表 吉田敬史氏(2/7)

藤原: 三菱電機の歴史上、初めてのことですね。

吉田: いや、それがそうじゃなかったんですよ。実はKさんは、1976年ぐらいに役員に指示されて環境白書というのをつくってたんですね。公害対策も一段落した時期なんですけど、三菱電機全体でどれだけ投資をやって、廃棄物をどれだけ出して、大気汚染が、これこれでというのを1976年に一度だけそれをきちっとまとめて、冊子にしてたんです。今思うとすごい。それが唯一の環境リポートです。

藤原: そのとき、仕組みをつくっているわけじゃなかったから。

吉田: そうですね。それ以降は1992年までないわけだから。

藤原: 76年以降、なかったんですね。

吉田: 15年間ぐらいかな。ないわけですね。個別のデータはあったのかもしれないけど、そういう全社でというのはまとめていないし。誰も興味も持たなかったんですね。それを十何年かぶりに、実践してみた。ただ、76年に環境白書という名前の冊子が残っているから、それがすごく参考になったんです。あとから思っても、あれはすごいなと思って。

その後わたしが環境本部長になったときに、社長にこういうドキュメントがあるのをご存知ですかって、その現物を持っていって見せたんですね。実はこういうのが1976年にあったんですと。すると社長が「面白いね、こういうこと昔はよくやってたんだね」と、すごく興味を持たれていました。その中には環境会計の走りみたいなものもあったんですよ。環境の設備投資内容だけ抽出して、グラフ化していたり、廃棄物にしても、一応区分化してあって、汚泥とか廃油とかちゃんと仕分けてあって。

藤原: いまの環境報告書の原形みたいなところがあったんですね。

吉田: だから、そういうデータもやろうと思えば昔からできたんだろうけど、その1回だけやったものがあって、いろんな考察を加えた「環境白書」というのがあったということです。すごく面白いのは、将来メーカーがどうなるかというような考察があって、廃棄物関係の記述では、今は工場から出た廃棄物がこういう状況で、どうなっていると分析が書いてあって、「次に考えないといけないのは、われわれがつくる製品を、廃棄物として処理しなければいけない日が来るかもしれない」っていうようなことが書いてあるんですね。製品がそのまま廃棄物として、製造者責任を問われることになり得ることが考察として書いてある。すごいなと。

藤原: リサイクルの先を読んでおられたという。

吉田: だけど、まだ家電リサイクル法が施行されるはるか前の話です。ただそのころから、家電研究会では、将来製品の回収が義務付けられるということが話題になり始めているから。1976年でもうこんな考察があったんだなと。やっぱりしっかり考えている人が結構いるんだなと思いました。

藤原: 今はこういう考えの方がいるわけですし、現場にもいらっしゃるんでしょうね。

吉田: いるんですよ。

藤原: その「環境白書」は公開されていた資料なんですか。

吉田: いや、社内の役員向けで。当時の常務のメッセージなんかも載っていました。だから、各工場なんかには配ったんでしょうね。工場長とか、それから役員とか、生産技術部とか、技術管理部とか。こんなドキュメントがあるっていうのも、当時はKさんしか知らなくて。「こんなのもあるよ」と、いろんな資料を、古い資料をあさっていたときに教えてくれたんです。

そういうのがきっかけで、自分がまとめてみようと思ったということです。Kさんは、「まあ、やってみろ」という感じで。だけどそれを使って自分でやってみると、面白かったし、すごく勉強になって、実際の姿というものが肌で分った。それを見て、ようやく部長とか課長クラスの人も、そうなのかと。ここから、これをもうちょっとこうしなきゃいけないとか、何で、これはこうなるのかとか、工場間でずいぶん違うとか。そういうデータを集計して見える化すると、いろんなことがわかってくるわけですね。それで、段々、前に行き始めたという感じですね。

■次回「第1回対談 グリーンフューチャーズ代表 吉田敬史氏(3/7)」へ続く

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